一日に起こったことや考えたことを整理するための日記を、最近の満ち足りた日々の中では不要に思うあたり、自分は不幸というものに慣れ親しみすぎていたように思う。もっと幸せなことを書いても良い。辛いことばかりではなく、正の方向に心が触れたことを書いても良いと思う。照れくさいけど。

最近は悪いことよりも良いことの方が多く起こっている。今まで自分の怠惰に起因する不合理だけではない運命的な不条理がたくさん起きていたのだから、これぐらい良いこと続きでも罰は当たるまい。

良いこと。周囲の人との巡り合わせが明らかに変わった。自助の力もあるが、まさに幸運にも様々な人が気にかけてくれる。嬉しいことだ。この流れは続けていかねばならない。出目を決める運はやがて尽きるが、賽を振り運を切り拓くのは自分である。努力によって試行回数は無限になる。それはそのまま運は生み出す気概を持つ限り無限に生まれることを意味している。

画材を買った。環境は整った。自分のやりたいことをできる環境。大いに使うべきだ。人に触れて感覚を磨き、良いものに触れて感性を磨く。そうすることができる幸運。まさに有難い。

愛された。これが一番大きい。様々な人が大小気にかけてくれる中で一人、自分の全てを与えると言ってくれた人がいた。俺はメンヘラな上にそれなりに慎重だから、その言葉を額面通り受け取ることも永遠に有効だとも思うことはない。二年持つかもわからない。だが一つ言えるのは、自分は生きていても良いと思えることはかけがえのない幸運だと言うことだ。依る辺の無い浮薄した人生は全うするには忍び難い。一年と少し前に別れて以来俺の人生は再び無明の中を漂泊していた。そこから救い出してくれた他でもない君には感謝している。たといそれが一時の光明であろうとも。