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初めて寝坊した。一度だけで終わらせたい。どんなに頑張っても遅寝早起きは俺には無理だと今更ながら再確認したので、夜はきちんと寝て規則正しい生活を心がけなければ。
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一日に起こったことや考えたことを整理するための日記を、最近の満ち足りた日々の中では不要に思うあたり、自分は不幸というものに慣れ親しみすぎていたように思う。もっと幸せなことを書いても良い。辛いことばかりではなく、正の方向に心が触れたことを書いても良いと思う。照れくさいけど。
最近は悪いことよりも良いことの方が多く起こっている。今まで自分の怠惰に起因する不合理だけではない運命的な不条理がたくさん起きていたのだから、これぐらい良いこと続きでも罰は当たるまい。
良いこと。周囲の人との巡り合わせが明らかに変わった。自助の力もあるが、まさに幸運にも様々な人が気にかけてくれる。嬉しいことだ。この流れは続けていかねばならない。出目を決める運はやがて尽きるが、賽を振り運を切り拓くのは自分である。努力によって試行回数は無限になる。それはそのまま運は生み出す気概を持つ限り無限に生まれることを意味している。
画材を買った。環境は整った。自分のやりたいことをできる環境。大いに使うべきだ。人に触れて感覚を磨き、良いものに触れて感性を磨く。そうすることができる幸運。まさに有難い。
愛された。これが一番大きい。様々な人が大小気にかけてくれる中で一人、自分の全てを与えると言ってくれた人がいた。俺はメンヘラな上にそれなりに慎重だから、その言葉を額面通り受け取ることも永遠に有効だとも思うことはない。二年持つかもわからない。だが一つ言えるのは、自分は生きていても良いと思えることはかけがえのない幸運だと言うことだ。依る辺の無い浮薄した人生は全うするには忍び難い。一年と少し前に別れて以来俺の人生は再び無明の中を漂泊していた。そこから救い出してくれた他でもない君には感謝している。たといそれが一時の光明であろうとも。
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最終日。朝起きれたので浜辺を歩く。天気もよく、また波も高すぎず、玲瓏な風が心地良かった。潮騒の音を聴きながら海辺の町の人々の暮らしを思う。思い浮かぶのは全校100人にも満たない中学校に通う男女だ。平成でも昭和でも、ましてやそれ以前でも無い、だがいつも心の中にある過去の中で二人は浜辺を歩いている。微妙な距離を保ちながら、お互いの手を意識しながら。
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研修旅行一日目。デッサンをする。もっと時間を考えるべきだった。モチーフを限定してひとまず描き終わるということが大事なように思う。明日は動物なので、一点集中で描いてみたい。
友達が出来るか心配だったがなんとかなった。男はやはりきっかけと同じ話題さえあれば簡単だ。女もそこまで難しいわけじゃないが、やはり同性同士で行動しようとするのは当然だと思う。男女の繋がりが希薄になるとつまらないので、できればクラス全体で仲良くなりたいと思う。
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想いというものは本当に上手くいかない。たった一つ、生まれた場所が違うというだけであらゆる機会が失われてゆく。もし彼我の距離がもっと近かったら、違う行程を歩み、違う結果になっていたかもしれない。距離が遠いだけで、お互いに何もできなくなる。男は救ってやれないことに苦しみ、女は救われないことに苦しむ。これらのことが起こるのは、ただ距離が遠いからというだけだ。他には何も無い。
今日は他にも色々書きたかったが疲れた。眠気とも悪心ともつかない倦怠の内にいる。
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昨日からずっと外に出ていたのだが、iPhoneを忘れた。帰ったらLINEが14件あった。
買い物に行って飯を買う。肉はもっと日持ちすれば面倒じゃないのに。
良い匂いを嗅ぐと落ち着くことに気付く。辛いことがあって心乱れて仕方が無いときにランバンの香水のムエットを嗅ぐと自分でも不思議なほどすぐにリラックスする。今まで自分は気付かないうちに精神的な「癒し」を軽視していたのかも知れない。ただ匂いは混ざれば臭いになってしまうから、あまり様々に買えないのが残念だ。今日も部屋用のお香で気になるものがあったが柔軟剤の香りが消えてしまうのが嫌で買わなかった。
昨日はまた自分の精神の弱さに直面しなければならないことがあって、まだまだ自己研鑽をしなければならないと思った。精神の弱さ、それは精神的貧窮が生み出すのだと思う。自分の場合、多くは独占欲だ。自分より良いものを認めたくなかったりするのも独占欲の一形態だと思う。
本当に、何が優しさなのかわからない。